友人や先生のいる前で、母は夜の仕事をしていると言ってしまった。人の醜いところ、愚かなところ、弱いところが垣間見える事件だった。

友人や先生のいる前で、母は夜の仕事をしていると言ってしまった。人の醜いところ、愚かなところ、弱いところが垣間見える事件だった。

【性別】男性
【年齢】(大恥をかいた当時)
21歳
【職業】(大恥をかいた当時)
会社員

【住まい】(大恥をかいた当時)
当時は高校一年生。
妹と母の二人で暮らしていた。
片親だったため金銭面で苦労することもあったが、自分たちには我慢させないようにと、女手一つで育ててくれた母親にはとても感謝している。
おかげで、裕福ではなかったものの、とても幸せな生活を送れていたと思う。





【簡単に言うと・・・】
友人や先生のいる前で、母は夜の仕事をしていると言ってしまったこと。
夜の仕事とは言ってもパチンコ屋の清掃であったが。

【恥をかくまでのいきさつ】
文系だったぼくにはとても退屈であった数学の授業後、ようやく訪れた休み時間中に友人や先生と自分の家族の話をすることになった。
周りは次へ次へと母や父との出来事を自慢げに話していた。
私は先週ディズニーランドへ行った、俺の父は医者だから金持ちである。
自慢話大会でだった。
両親の話を楽しそうに話す友人をうらやましいと思いつつも、自分の番がやってくる。

【恥をかいた内容】
自分の両親の自慢話をする友人たちの流れにのり、自分の番が来た。
僕の母は夜にも仕事をしている。
僕がそういうと、周りは茶化し始める。
年頃の子供たちにとって、夜の仕事といえば風俗やキャバクラくらいしか考えつかないだろう。
当然、僕は皆の嘲笑の的になった。
あろうことか、その場にいた先生は、僕を嘲笑する皆を鎮めるではなく、困惑した様子で笑って居た。
慌てて僕は、キャバクラじゃなくて、パチンコ屋の清掃だよ!と弁明するが、貧乏だな、とより嘲笑が増す。
当時は何が一体そんなにおかしいのか分からなかった。
馬鹿にしてくる皆に腹を立てつつも、笑ってその場をごまかした。
みじめであった。
自分の家庭を馬鹿にされてなお笑える人間にろくなものはいない。
この文章を書いていてふと思った。




【恥をかいた時の心境】
自分は、夜遅くまで自分のために身を削って働いてくれている母を、みんなのように自慢しただけだったのだが、まさかそれを馬鹿にされるとは思わなかった。
誇らしいと思っていたっ気持ちはは薄まり、恥ずかしさだけが残った。

【まわりの人たちの反応】
恥をかいてしまったとき、周りの友人は僕のことを見下していた。
お前の家は貧乏なのかよ(笑)。
子供とはあまりに残酷である。
人を傷つける言葉を簡単にはけてしまう。
その日から今まで、貧乏という言葉にコンプレックスがある。
自虐的に自分を貧乏だとふざけるものがいるが、冗談でも貧乏という言葉は言えない。
それはきっとこれらの過去があるからだろう。
貧乏扱いされることがたまに起きるようになった。




【結末】
大恥をかいたとき、顔から火が出るように恥ずかしかったが、笑って誤魔化すことしかできなかった。
そんなことないよう(笑)やっとの思いで出た言葉である。
本来止めるべきであろう先生は、止めることはしなかった。
教師とはいったい何のかわからなくなった瞬間でもある。
あの時、どう反応するべきだったのか、たまに考える時がある。




【周りからの評価の変化】
周りの人からの評価の変化は、とてもおとなしいやつ、から家が貧乏なやつ、になった。
題にあるように、軽蔑され、見下されるようになったのだ。
お金がない、片親であるというのは人の軽蔑や見下される対象であることを身に染みて実感した。
それからは人前で自分のことはあまり話さないほうが良いということを学んだ。
大きな授業料だ。




【笑い話にしたか】
そんな状況で笑い話にできるわけもなかったが、自分は傷ついていないと自分自身に暗示をかけるため、それらのことを母親に、面白おかしくふざけながら語った。
母が仕事終わりに作ってくれた晩御飯の最中である。
母は悲しそうな顔をしていたと思う。




【学んだこと】
まず、人には簡単に自分の話をしない。
特に、侮蔑、卑下されるような内容は話さない。
母親を大切にすること。



【当時の自分へのアドバイス】
僕自身に言いたいことは、決して親の話はするな。
ということである。
とてもしょうもない出来事だと笑う人もいるが、多少なりとも僕の人格形成に影響を与えた事件の一つだ。
僕は口が軽く、すぐに話をしてしまう子供だったので、特にそれはつたえたい。
そして、女で一つでここまで育ててくれた母親には、感謝を忘れるなということである。